2009年04月14日

26.永遠に私として生きる母の可能~後編~

26.永遠に私として生きる母の可能~後編~



私自身、NAGAIに出会い、『ことばの可能』に目覚める前は、その2面性に

理解がついていかず、身体の方は多分無意識に反応していたのだろう。

自分って一体何??
魅力ある人間なの??
ダメな人間なの??


というストレス・ジレンマをぶつけられるのは母しかいなかったから

相当ワガママだった時期もある。


本当に母とはとことん話をしてきた。

小さな頃からよーく話をしてきた。

大好きだった。

尊敬している人は?と聞かれたら、“お母さん!!”と迷い無く答えていた。

生き様そのものを乗り移られるには、いとも簡単なくらい話をしてきた。

そして、NAGAIとの出会いから、

一人の人間としてどう生きるのか。
田栗孝子の娘としてではなく、田栗幹子として生きるとは?


から始まって

我々として生きるとは?
何の為の人生か?


をとことん話し合った。

話し合いにならず、勘当同然の数年間もあった。

すぐに仲違いになる時もあった。


そして今現在は、母なりに心配しながら、嫌事も口にするが

大きく見守ってくれている。応援してくれている。

理屈を越えたところで私という娘の存在に幸せを感じているだろう。

そんなエネルギー感を感じる。20年かかった。

ある意味母バナレであったろう。


今、私にあるメッセージは悔いは無い。
お母さんに愛され切って今がある。
全てを受け入れられる。
そして、未来を創り出す幹子として毎日仲間と共に新鮮な生命を創り続けられる。
いつお母さんという肉体現象が消えてもOK。


お母さんの愛を、そして、やり切れなかった願望を私がバトンを受けました。
お母さんの中にある思いやり、人の為にという慈悲。
それらを私が未来に向けて生き続けます。



お母さん、生んでくれてありがとう。

私に今の人生を与えてくれてありがとう。

愛しています。





完了

  

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2009年04月07日

25.永遠に私として生きる母の可能

25.永遠に私として生きる母の可能 ~前編~



今、私の母は78才だ。今年の11月17日で79才になる。

見た目は多分、とても79才には見えない。年令に比べると、結構若くて可愛らしい。

身体の内部的には、腰が悪い、膝が悪い、咳が止まらないなど、ガタがきているのだが

シワがまず少ない。肌がプリプリしている。

車椅子生活の父の面倒をみるのは私しかいない!という使命感みたいなものが

生命力を強めているのだろう。


今回、このブログを書くにあたって、改めて母の人生を思いながら、

そして、私自身の生誕から振り返ると、どれだけ母に愛され、守られ、授けられて

今の自分があるかが毎回書く度に感謝として溢れてきた。



一度、会話と人間関係という事で母と話し合った事がある。

母にとってもあまり上手に人と話せないというのはというのは、コンプレックスだったようだ。

その代わり、黙々と努力と頑張りが一途に何かを成し遂げるという強さを持っているのに

あまりその事への承認がない。自分が自分の事を思っている以上に愛嬌があって

結構人から好かれているという事もあんまり認めていない。


強い自己否定と同時に併せもつ人なつっこさ。

これはそのまま私だった。



続く・・・  

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2009年03月31日

24.42才で知った新しい母、実はSuper営業woman3

24.42才で知った新しい母、
             実はSuper営業womanだった~完了~





やはり母は凄い!大尊敬しても足りない!

母はSuper 営業 womanだったのだ。


お金をどんどこどんどこ預けられる母。

紹介が紹介を呼んで結果を他人の分まで創る母。

少々の周りの噂話なんぞ、意に介さない肝っ玉母さん。

突き進む母。



このエネルギー体そのものが私なんだ!!

と、思いっ切り“母=自分”の承認が理屈抜きに溢れたひとときだった。

42歳で出会った母だ。

今まで、私は母の何を見てきたのだろう?と、全く以て未知の母だったのだ。

母ももう78才。あと何年こういう会話が積み重ねるだろう?

母が活躍していた頃の数倍の年令に娘の私が達しているのだ。

この何とも言えないふっとした会話が無かったら、


「人間関係を創り切らない孤独で、お金しか信用出来ない母」

と、レッテルを貼ったまま、私自身も私にその会話を深いところで向けながら、

一生を終えていたかもしれない。


会話が創り出す奇跡を皆さんも如何でしょうか?  

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2009年03月24日

23.42才で知った新しい母、実はSuper営業woman2

23.42才で知った新しい母、
             実はSuper営業womanだった~続き~




『お母さんもね、昔、外回りしててね・・・。本当は内勤として雇われていたから
 出たらダメだったんやけどね・・・。

(母が17~20才位の頃の事。そう戦後間もない昭和22年から25年頃
 町の小さな郵便局の窓口にいたのだ)
 局長が毎日毎日外に出て営業して来るんよね。その頃暇でね、お給料だけ貰って
 部屋の中でじーっとお客さんを待っとくのも悪いやろ?
 “お給料貰いよるんならその分働かんと!” と思ってね、こっそり出てね、
 近くの会社に行くんよ。そしたらね、皆がお母さんに貯金してくれるんよ。
 それかと思ったら、“あそこのあの会社の誰々部長さんとこに行ってみなさい。
 言っといてあげるから”と言われて行ったら、また、そこの会社の人み~んな
 お母さんに貯金してくれるんよ』
と。

!?!?!?!?!?
もう聞きながら口があんぐりだった。


更に

『保険もね、よくお母さん一番になりよったんよ』
『簡易保険ってあるやろ?あれよ。でね、“隣町の郵便局の誰々が一件も取れてないから
 倉富さん(母の旧姓)、あんたの結果を少し分けてあげていいね?”と局長から
 よーく頼まれよったんよ』


とまで言ってのけた!!

もう私はビックリ仰天!!

「えーーーーっ!!!お母さん、人間関係創りきらん人やなかったとーー?」
「だって、私が小さい頃、アパートのおばちゃん達からよく陰口言われたり、
 文句言われたり、仲悪かったやん!?」

(事実、電々公社の社宅住まいで、同年代の主婦、所詮今でいうママ友仲間だ。
 何か私の母にだけ除け者のような人間模様を小さいながらみきちゃんは
 しっかり感じ取っていた)

私の驚きに対し、母曰く

『そんなんあんた達二人を育てながら、昼間働いて、帰って来たらばぁちゃんがおって
 みんなと仲良くする暇あるもんかね!!もう毎日が必至やったよ』
『おまけに、ばぁちゃんがお母さんの悪口やら何やら皆に言いよったんよ。
 だけど、相手にする暇もなかったよ』
と。

あーーーと感無量で何にも言えなかった。



さらに続く・・・






  

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2009年03月17日

22.42才で知った新しい母、実はSuper営業woman

22.42才で知った新しい母、
             実はSuper営業womanだった




今私は、田ぐり庵で営業をしている。この人生の風景もNAGAIに出会い

自分の生き様and内話のchangeなくしては絶対にあり得ない事だ。

何故なら人間関係ということばすらなく、

人と関わる事が出来ないから薬剤師という資格を取り、

薬と向き合っていれば一生食いっぱぐれる事はないなどの理由で、

人生を送ろうとしていたのだ。

(薬剤師の方にお断り申し上げます。実際は、まさしく患者様との関わりが
 最重要な職種であります。その事もNAGAIに出会い、気づかさせて
 いただきました。私個人の人間関係・仕事という会話であります。)



その自分に対する評価的会話がでんぐり直されたエピソードを紹介しよう。


ある日の事、他愛無い話を母としていた時、ふと母が聞くのだ。

『あなたが営業ねぇ??大変やろ!』と。

「う~ん、そおねぇ。でも面白いよ!」
「人間関係を創っていくしかない!!と、NAGAIで掴んだからね。
 そりゃあ全ての人と簡単に!!とはいかないし、お金・権力・過去からの
 しがらみが、結構お弁当業界も根深いものがあるからね!!
 その中を私達NAGAIの真の人間関係創りの会話力でつき進んでいるのさ!!」


などと話をしてた。

すると、思いがけない昔話が母の口からするすると出て来たのだ。

目の前にいる母に対して、今までの“私の母、田栗孝子”という像が

ガラガラと崩れて無くなっていってしまった。



続く・・・

  

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2009年03月10日

21.母を許し切り愛し切る事が実は父を越える事【後編】

21.母を許し切り愛し切る事が
        実は父を越える事【後編】





ところが人生の現場で手にしている結果は、まだまだ納得のいく結果では無かったので、

“何かあるだろう。父を越えるとは???”

がここ数年の私の探究テーマだった。

そしてある時、そう、薄紙を剥ぐように、もしかして???と気付いた事がある。

それは、父への尊敬心だった。

大好きで大好きで大好きで、実際私が惹かれる異性はどこか父に似ている。

それくらい永遠の恋人なのだ。

が、尊敬しているか?といえば、それが無かった。

どちらかと言えば馬鹿にしていたかもしれない。

理想の父親とは、もっと威厳があって、立派な役職があって、

“俺について来い”みたいに家族を引っ張っていってくれるものだった。

実際はそうじゃなく、母の方が強かったので、

少々「父親」としては認めていなかったのかも知れないが、

それも実は母のことばの乗り移りだったの??という事実だ。


よく母が愚痴を言っていた。

「本当にお父さんは何を考えてるかわからん」
「何にも言ってくれない」
「もっとしっかりして欲しい」
「つまらん」

等々・・・

その母のことばそのものとして、私も父を見ていたのだ。恋人として大好きな父に

その目を向けるのだから、人生でもよく違っていた。恋愛が一年続かなかったのも

ありとあらゆる点から胸落ちする。


好きだけどのめり込めない。好きだけど尊敬できない。


母の父に対する関わりと全くイコールだったのだ。

そして更に面白いのは、そんな母を全て受け入れ、許し、認めきっていくと

不思議と父に対する尊敬心が生まれていたのだ。

「父を越えなければ!!」と、目を父に向けていた時は全くだったのが、

母をとことん完了し続けると、気がつくと父を越えていた。


「人」「男性」に対する敵対心というか、

どこか弱みを見せてはいけない!!という強がりもほどけてきた。

父(=人)への感謝と尊厳が生まれていた。


  

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2009年03月03日

20.母を許し切り愛し切ることが実は父を越える事【前編】

20.母を許し切り愛し切る事が
           実は父を越える事 【前編】




「母を完了し、父を越える」

今日は、“この父を越える”について書こう。


この提言がされてからずっと私は附に落ちなかった。

確かに思春期の頃、ひどく父を嫌った時期があった。もう尋常じゃなかった、と思う。

まずタバコ。何故だか私はとても鼻が利く。周りの人が???と気付かないような

ニオイもキャッチする。特にタバコのニオイには敏感だ。

ちょっとでも父が吸おうもんなら“くさい!!外で吸ってよ”と文句を言って

実際に外に追い出していた。父の物には一切触れなかった。

今から思えば本当に申し訳ない態度だったと、どんなにかつらかっただろうなと

思えるほどの娘だった。


が、NAGAIに出会い、自分にとっての父とは?を探究する中で出て来たのは

“あー、私は小さい頃からお父さんが大好きだったんだ!!”

を思い出したのだ。

小学校2~3年くらいまで父のあぐらをかいた脚が私の居場所だった。
必ず父が家にいる時は占領していた。
いつも振り返ると父の胸と顔があった。
学校のPTAの役員もしていて、よく学校に来ていた父が自慢だった。

本当に人生の節目々々で父にサポートされていた。
薬剤師としての就職先も父が探してくれた。

そんな事実に気付き、認めたんだからもういいだろう、

何がもっとあるのだろう?と、しばらく腑に落ちていなかった。



『人と関わりの象徴が父との関わりとイコールだ』

ともNAGAIは提唱する。

確かに、人が好きになった。

あれ程“人は恐い”と思っていた私が、人との関わりが楽しくなった。

だから、これ以上何を越えればいいのか?

と感じていた。  

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2009年02月24日

19.母の人生=私の人生~エピソード編~

19.母の人生=私の人生~エピソード編~



数年前、父が脳梗塞で倒れたことは以前にも書いたが、その時の母の言動が

“あー、この母にして私の人生だ”と、実はちょっと微笑ましかった。

何かと言うと、母がオロオロしながら、そしてげっそりとやつれ、この世の終わりのように

悲しみに暮れていた。当然と言えば当然だ。

52年間連れ添った伴侶が倒れて、生きるか死ぬかを彷徨っているのだ。

母の胸の内を受け取って、少しでも元気になってもらおうと聞いてくると、

出て来る言葉は父の事というより自分を責めることばなのだ。

“お母さんがお父さんを殺したようなものだ”
“お母さんがお父さんに辛く当たってきたから罰があたったんだ”
“お父さんがこんな事になったのはお母さんのせいだ”
“お父さんの命がこのまま終わってしまったら、お母さん一生掛かっても償えん!!”


と、泣き崩れてしまう。

確かに、小さな頃から二人の関係を感じながら、小さなみきちゃんは

不思議に思ったことがある。


『お母さんは、お父さんの事愛してないのかな?』
『夫婦って、もっと仲良いもんなんじゃないのかな?』
『テレビドラマや漫画の世界と現実は違うモノ?』etc・・・



だからといって、喧嘩のある家庭でもない。何となく冷たいというか

父はとっても母の事を好いていて、何やかんやと面倒見がいい。

が、それを素直に受け取るのが下手くそな母だったのだ。

たぶん、やっと50年近くの夫婦の歴史を経て、母なりに父に心を許し、

受け入れ、甘え、二人の人生を楽しもうとした矢先の父の脳梗塞だったのだろう。



その母の人生が、まさしく私の35年間の人生だ!!とピタリと一致した。


恋愛なんぞは、もう全く同じである。状況も、相手も、時も違うが、

まさしく、どんどん相手に私を好きにさせ、私もそろそろ信頼して

心を開いてもイイかも知れない。となりかけると、突然二人の関係がダメになる。

自分が失意のどん底に陥る事もあったし、相手にそういう思いをさせて別れになってしまう。

所詮「安心したら、ばっさり捨てられる」自作自演だ。

母の落胆を案じ、

“そんなに自分を責めなさんな”
“どーしようもなかった事やろ”


と力付けたら、何故か自分自身の内話エネルギーは軽かった。

自作自演のあのお風呂事件の人生脚本も、実は母の人生脚本であり、

この母の人生を、私は踏襲して来ただけやん!!アハハ!!ってな感じだった。



恋愛というテーマが一番よく見える。が、他全て、何をとっても『自分=母』だ。

だから、母ととことん会話し、母を知り、母を認め、母を受け入れ、
母の凄みを感じる事が、深い自己承認・自信へと繋がる。


皆さんも試してみてはどうだろう。





  

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2009年02月17日

18.母の人生 = 私の人生

18.母の人生 = 私の人生



NAGAIに関わると、よく耳にする言葉の一つに


“母を完了し、父を越える”


という一文がある。

どういうことかというと、私たちが生まれ、育って来た環境の中で

一番影響を受けたのは、何と言っても父と母だ。

学校の先生、祖父・祖母、兄弟・姉妹と、様々な人々から

影響を受けるだろうが、その始まりはやはり母と父だ。

そして、NAGAIの提言は、自分イコール母そのものである。

物の見方、考え方、反応の仕方、好き嫌い、生き方。

どれをとってみても、よーく観察したら母そのものの乗り移りである。

“あんなお母さんのようには絶対ならないと思って生きてきた”

と、よく言う人がいるが、悔しいがそれでも実は同じような人生を辿る。

では、父の影響は?というと、人との関わりで出て来るのだ。

元々、母親の体内の細胞分裂によって私達の身体は出来ている。

父は、外部からの侵入者だ!となると他人。

人との関わりを父との関わりから学ぶのだ。

好きか嫌いか、近いか遠いか、優しいか恐いか等、

自分が「父とは?」と思い浮かべた後、

「父」を「人は」と置き換えてみると、自分の人間関係模様が見えてくる。






次回では、まず、母の人生と全てイコールの人生を私は生きている!

と実感したエピソードを紹介しよう。
  

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2009年02月10日

17.我々プロジェクトへの援助~我々編~

17.我々プロジェクトへの援助~我々編~



6年前のある朝、突然母から電話がかかってきて、いきなり

“お金を全部あげる”と言うではないか。

その金額も個人的借金を返済してくれた倍程の金額だ。

何が何だかわからなかった?!?!?!?!


数日前に父が脳梗塞で倒れたのだ。

知らせを聞いて私も病院に駆けつけたが、

3時間くらい意識不明で、ようやく何とか一命を取り止め、

リハビリ等が出来るまで回復を待ち、どの程度

障害が残るかこれから、という時だったようだ。

おろおろと泣く母を残して、すぐ又仕事場に戻って、1時間後位の電話だった。


『突然どしたの?』と聞くと、

『やっとこれからお父さんと、老後を2人で旅行でもして楽しく暮らそうと思ってたのに、
 こんな事になってしまったら、もうお金を持っとっても何の役にも立たん!
 それなら、お金が無くて苦しんでるあなたにあげた方がいいかなと思ってね』


と、多分父の命が無くなると覚悟したようだ

こんな事を母が言うとは、相当まいっていたんだろう。

未だかつてない母だから

こちらもどう対応していいか、戸惑ってしまった。


「生き金」
「お金を生かす」
「何の為のお金なのか」


と、よく私達は話し合う。田ぐり庵の仲間ともそうだと。

NAGAIに来る参加者の人々とも。更には、仕事という事を通しても

とことん私は母と話し合ってきた。母なりに思うところがあったようだ。


あれから6年経ち、田ぐり庵がどんどん儲けて、配当金だとかが貰えてる訳ではない。

投資した訳じゃないから当たり前なのだが、又、返済する約束でもないから

母の元にお金が戻るでも無い。

口では、今の世界経済の状態や、食産業の氾乱を感じ、

娘の苦労を案じながらも、又、嫌言を少々言いながらも

何か自分の娘が生き生きしているのは感じるようだ。


その数年に亘る、又、数回に亘る援助が、娘のその生き生きの源になってる事が

母本人の生き甲斐とも繋がっている。





  

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2009年02月03日

16.我々プロジェクトへの母のサポート~個人編~【後編】

16.我々プロジェクトへの母のサポート ~個人編~ 【後編】



又しても親は青天の霹靂!!二度目の絶望のどん底だ。

“何で、あなたが・・・”と絶句だった。少し落ち着いて思考が回るようになったら、

向く怒りの対象は田ぐり庵でありNAGAIなのだ。

目の前にいる娘の幹子では無いのだ。

人間がどうしようもなく陥る不思議さだ。

“母親として、娘のあなたが困っているというなら丸裸になっても、全財産を
投げ打ってでも助けてやるよ。
でも、そんな事をさせてる田ぐり庵が許せん!”


と言う前半のセリフに私は驚いた。“えっ!?”と。

そんなに親は子の為だったら無償の愛があるの?!
そして今、私に対しても?!


という思いが交錯し、一瞬ここ迄言われたらもういいかも?とよぎった。

ここも人間の弱さだ。

我の欲が満たされたら、次!へと進まないのだ。それを引っ張るのは

やはり、何の為の人生か?という人生の目的観が有るか無いかだ。

話は戻って、事実は、私の借金と田ぐり庵とNAGAIとまったくイコールなのだ。

田ぐり庵のせいに母はしときたいのだろうが、そうではない。

私が生きているスペースだ。

私の甘ちゃんさ加減が無給→キャッシング生活という結果を創り出していたのだ。

そして、母の人生には思ってもみない人間関係が厳然と

そこに存在するのも事実だ。


これは私のモノ、あれは人のモノ、という会話が自分だけもっとという欲となり、

国家間に広がれば戦争なのだ。


お金が無いからこその工夫、知恵、譲り合いという本来の人を思う思いやりも生み出されていく。

隠し事が無くなっていく。

本音でいつでも話し合い、一人一人自分の人生に向き合い、過去に責任を取って
未来を共に創り出そうという結束力が強まっていく。


少々の行き違いからの感情のブレなんか何のその!!だ。

すぐ我々の目的に立ち戻る。そんな仲間が今いる!!

この田ぐり庵が成功する事が、どれ位多くの未来の子供達に
希望と生き生きさを与える事になるか!


今はわからなくても、“幹ちゃんが言っていた事はこの事?”

と社会が大きく動き出す時が必ず来るから、

人々が本音で話し合い、互いが互いの為に生き、調和しあうスペースを皆求めている!

そのパイオニアとしての私を、育てて下さったお母さんとお父さんです。

“私の為だったら何でもする!!と言うなら、お願いです!助けて下さい!”

と叫び続けた。

言いながら寝食を共にしている仲間の顔が次々と浮かび、
応援してくれているかのような勇気がどんどん湧いて来た。

自分のつき進んでいる人生に一点の憂いも無く誠実に生きているからなのだ。

結果は、数回に亘ってだが、個人的借金を全額母の援助で“0”にした。





  

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2009年01月27日

15.我々プロジェクトへの母のサポート~個人編~【前編】

15.我々プロジェクトへの母のサポート ~個人編~ 【前編】


NAGAIの会話教育には、様々な人類が喉から手が出る程求めて止まない提言、ソフトがある。


①話し合う事で解決できないことは無い

②知恵,ひらめきは、ことばを持って生まれた人間なら
 誰でも出る

③生き甲斐,意欲,真の元気は、何でも話し合える
 仲間がいるかどうか etc・・・



その実践プロジェクトとして、“お弁当の田ぐり庵”が誕生した。
(詳しくは、松本厚子のトークコラムにて・・・)


その経緯の中にも出て来るが、“お金”“経済を創り出す”という事に対し、

如何に子供の在り方だったか、誰かが何とかしてくれる的人生を送っていたか、

という事実との直面だった。

その無給時代がかなり続いたお陰で私は、自分の人生が大きくchangeした。

人生とは与えてもらい、決めてもらい、その結果自分にとって都合が悪い事や嫌な事は
人、状況のせいにして、いつでも自分で責任を取らない。
『すいません』と反省する事があたかも責任を取っているかのような大きな勘違い。


そう生きてきた在り方から、

人生とは創り出すもの。
結果に責任を取るとは、如何に次に可能に転じるか、その決断と宣言と行動こそが
責任である。


という事への開眼だった。

前者で生きていると、お金は自分の分だけもらうもの。だから、より人より多くもらえれば

それでよくて、少なければダメ。じゃあ、人より多く手にするためには?と、どこ迄行っても

税金の範疇から出られない。

ところが、我々の為だったら、どこ迄もお金を創り出す必要がある。

そして創り出したお金を、また我々のものとして共有し合う。

お金にまつわる会話が、欲から愛へと変わった。


がしかし、毎日待ったなしの時間経過と共に必要なものは必要。が、無いものはない。

約一年くらい、金融機関のキャッシングで生活、営業活動を続けた。

当たり前だが、どんどん大きくなる自分で手に負えなくなる程
キャッシング出来た事も、実は私にとっては突破だった。


「借金も財産のうち」ということわざがあるが、ナルホドと思う。


元々、公務員の両親に育てられてきた私は、一ヶ月のお小遣いが余ったら

自分の好きなものを買うという慎ましい学生時代を送っていたので、

借金の金額に対する度胸は、自分でも大したもんだと思う。

社会的にも信用が無ければ借金も出来ない。この時の金額に対する突破が

営業にも役立っているが、次第にどうにもならなくなって親へ救いを求めた。



後編へと続く・・・  

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2009年01月20日

14.人生は今しかない!【後編】

14.人生は今しかない!【後編】



母もびっくりして、子供がいやいやをするように「なんね!?なんね!?」

振り払おうとしたが、しっかり私は母を抱きしめて離さなかった。

胸に頭を乗せて、「ずっと、こうしたかったとぉ、ずっとお母さんに甘えたかったとぉ」

と言うのが精一杯で、あとは涙で言葉が止まってしまった。


母は母で、

「こんな鬼ババみたいなお母さんじゃない方がよかったね。他の人のお母さんの方がよかったやろ」

と、泣きながら言う。

「いや!私はお母さんがイイと。お母さんに育てられてホントに感謝してる」と言い切った。

ずっと働き続け、娘二人の成長の課程を知らない母は、母なりに自責の念が積もっていたようだ。

思春期の頃責めた事もあった。

今、やっと子供が母に求める素直な欲求を言葉にして私は言えたのだ。
そして何より母を許して、母も母自身を許すことが出来たのだろう。


実際は、ほんの2~3分だったろうか。

私には時間が止まったかのような感覚だった。帰りながら、

「あー、もうこれでいつお母さんとの別れが来てもいい。私は私の人生を歩んで行ける」

と、母のあの柔らかい包まれる肌の感覚に幸せを感じながら未来を思っていた。



これにはチョット付録がある。

「じゃあ、本当に帰るね」と立ち上がったら、父が入れ違いで丁度病室に入ってきた。

「病院の玄関まで送ろう」と、一緒に駐車場へと向かう数分。

「腕を組もう!!」と、今度は父に無邪気に言ったのだ。

一度恥ずかしさをかなぐり捨てれば不思議なモノで、もう怖いモノは無い!!

小さな頃、お父さんっ子でくっつきまわってたみきちゃんだ。

しっかり腕を組みべったりくっついて父と並んで歩いたのだ。


今では、78歳となり、数年前に脳梗塞で倒れたので実は父の方が車椅子生活を送っている。

あの時のように、腕を組んで歩く事はもう無理だ。



つくづく人生は“今”しかない。  

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2009年01月13日

13.人生は今しかない!【前編】

13.人生は今しかない!【前編】



母が交通事故で入院した、と妹から連絡が入った。

状況を聞けば、命には別状はない、足首あたりを骨折している。

年が年だから、ギプスが取れたらリハビリが結構重要だ、との事。

70歳を過ぎての骨折は、車椅子生活にもなりかねないらしい。

今すぐにどうのこうのでは無かったので、連絡があって数日経ってお見舞いに行った。


久しぶりに見る母は、入院という精神的ショックからか元気が無く、

何だか又、小さくなったように見えた。自分の事を考えたら当たり前の事なのだが、

いつまでもみきちゃんの頃のお母さんでは無い、『老い』という自然の摂理から

目を背ける事は出来ない。

5~10分、話をしただろうか。「帰るね」と言った後、急に

『いや、このまま帰ったら後悔する』

と同時に突然湧き起こったことばは、

『お母さんに甘えたかった』
    (No.7参照)

『素直な無邪気なみきちゃんに戻ってもいいのではないか?』
『いや、今さら恥ずかしい』
『いや、今、まだお母さんが生きているうちに』
『いや、恥ずかしい』
『いや、死んでしまったら、一生欲求不満のまま私の人生を送ってしまう』
『いや、恥ずかしい。相手にされんかったら・・・バカにされたら・・・』
『いや。人生今しかない』
『あー、もう突っ立ってたらお母さん変に思うよね』


こんな思いが瞬間駆け巡った。

そして、“えいっ!”と、病院のあの白いベッドの上の小さくなってしまった母の隣に

ちょこんと座って母の胸に抱きついた。というより、母を抱き寄せた。



後編へと続く・・・





  

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2009年01月06日

12.どこにいても愛はエネルギーをキャッチする?!

12.どこにいても愛はエネルギーをキャッチする?!


段々と、母と心の会話が出来るようになったある日の事、電話で話をしていたら、何の話からか

「最近確かにあなたは生き生きしてる」と、母親から言い始めた。

「うん、そうねぇ」と、何と返答していいか逆に戸惑った。


今までは否定から始まって、私へのイライラが怒りとなり、最後は母自身の悲観で

終わってしまうというのがお決まりのパターンだから面食らった。

「そんなに嫌だったのかねぇ」

「大学生になってからよ。あなたは生きてて死んでるかの如くだったよね

と、いきなり10年も昔の事を言い始めた。その時思わず私も素直に、

「あーあの頃ね。あの時私ね、大失恋したのよね」

と、これまたこんなことお母さんに言ってしまうなんて・・・、と自分でも驚きだったがもう口から言葉が出ていた。

前後するが、初めてNAGAIのプログラムに参加した時の気づきの一つに、

親子で会話してると思っていたが実はデーターコミュニケーションなだけで、会話とは言えなかった!!

という事実だ。何を話していたかというと、


『どこの大学に行くね』

『就職はやっぱり何か資格を取っときなさい』

『結婚するのなら、それなりの人としなさい』

『田栗家というのはね・・・』 etc・・・



所詮、世間体、学歴、常識とは・・・そういう類の話はよーくしていた。が、

心の内を分かち合う本音の会話、悩みを打ち明ける等、全くした事が無かったのだ。

これでは、会話しているとは言わない。親とすらそうなのだから、ましてや他人様と心底腹を割って

などの人間関係を創れる筈がないのだ。


話は、電話口の時の話に戻るが、私の言ったのを受けて母は、

「そーやろ、何かあなたに起きてる、と思ってたのよ。でも、聞いても言わんやろうし
 と思って黙ってたんだけど、何かあったなぁとお母さん思ってたんよ」

と言われたのだ。もうビックリ!!だった。

何故かと言うと、私が行った大学は徳島大学だ。当時、福岡から徳島といえば、

約8時間掛かった。瀬戸大橋もまだ出来ていない時代だ。

母も父もまだ働いていたので、大学4年間一度も来た事が無い。勿論、入学式も卒業式もだ。

まぁ、もう大学生にもなるのだから、来て欲しいとも感じてなかった。

ただ、毎週土曜日に電話をしていた。たぶん私も大学生になったと言えども、18歳にして

初めての一人暮らし。遠い遠い徳島のまだまだのんびりとした田舎で、誰一人知った人のいない

地での生活は、淋しさ不安もあったのだろう。週に一度の電話が楽しみだった。

その時に感じたと言うのだ。

一言も失恋だの彼がだのそういう部類の内容の話は

全くしなかったのに、私の声だけで“娘に何かあった!!”とキャッチする母親の愛!!

凄いな!!と恐れ入った。と同時に感動だったのだ。


小さな頃から共働き、鍵っ子、学校の行事は比較的休みの取り易かった父がいつも来ていた。

“お母さん!”と呼んで側にいてくれた事が無い。当然のように手のかからないしっかりとした良い子。

大体一人で何でも出来るミキちゃんだった。

だから単純に甘えられない。“お母さぁ~ん!”と胸に飛び込めない。

だから見放されてる、放っぽらかされてるという思いが、心の奥底に欲求不満としてあった。

が、どこにいても、何をしていても、母は強烈に私の事を愛していてくれたのだ。

『何をしてくれなかった』とか、『家にいなくて淋しかった』とか、もうそんな事はどーでもいい!と思った。

逆に小さな乳呑み児をを置いて仕事に行かなければいけなかった母のつらさも

受け取れた。その中を必死に働いて育ててくれた事への感謝がただただ溢れた。


思春期の頃、そう言って母を責め立てた事もあり、本当に申し訳無かったと涙が溢れた。


どうひっくり返したって母の愛にはかなわない。それがどんな表現であれ、子を思う母の愛は

無限なのだ。が、子供は得てして、自分の望むような表現をされなかったら

“愛されてない”と思い込む。他人の母と比べて、『あっちの水が甘く感じられる』が違うのだ。

母親とて、その表現で母の母親から愛され育てられてるのだから、
その表現しか知らないのだ。それが100%の愛情表現なのだ。


こうして人間は、母性愛を受け継いできているのだ。
良い悪い、正しい間違いは一切存在しない。


NAGAIの提言の一つに、


自分そのものである母を100%受け入れ、完了し
ヒトの象徴であり、人生のナビゲーターである父を
尊敬し切り、超える。
そうすると、永遠のライバルである兄弟姉妹との関係を
現実の社会生活に投影している仲間との関わりが
「あなたは私、我々」という同志となり、
会話家族へとチェンジする。



というのがある。

母との出会いは、そのスタートである。
  

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2008年12月30日

11.ある日の梅干し漬け

11.ある日の梅干し漬け


数回にわたる両親との会話を重ねるうちに(特に母親だが・・)

私の中で確信されたことが一つあった。

『あー、私はこんなにも母を求めていたのだ!!』という事だ。

子供が無邪気に『ねぇねぇ、お母さんお母さん!!』『聞いて聞いて!!』

と、甘え、求め、だっこされてよしよしされる。そんな関わりを、私には覚えがない!!

あの幼い日、子猿のようにしがみついて泣き叫んだ日以来、自分の文化から消えてる!!

本当はもっと素直に甘えたかった!?ということだ。



あのとんでもないお正月から数ヶ月経ったある日、ふらっと、また実家に寄った。

梅干しを漬ける為の紫蘇の葉をいっぱい買い込んでいたから、たぶん5月のGWくらい

ではないだろうか?


「何?この大量の紫蘇の葉?何するの?」

「梅干しを漬けるのよ!」

「お母さん、梅干しとか漬けきるの?」

「何でもやってみるの!!出来ん出来んって言ってばっかりはつまらんやろ?!
 挑戦、チョーセン!!」


と言うではないか!!

共働きで定年まで働いていたから、確かに料理は上手な方ではない。

家事、育児はどちらかというと自信がない方だろう。が、定年してからの有り余る時間に

母ながら、何かしら自分を成長させようと色々やっているようだ。

こういう母親を見たら、“あー、やっぱり私とイコールだぁ”と、ほほえましい。


まず、紫蘇を粗塩で揉んで、アクを出す作業からだ。

自然に、「私がやる!!やってみたい!」と、いきなり塩を手につけて始めた時

母が、「服が汚れるよ!チョット待ちなさい!」と言って、

エプロンを後ろから小さな子供に着けてあげるように着せてくれて、後ろの紐を結んでくれている。
その、ほんのほんの1~2分の出来事が、私にはたまらなく嬉しかった。


たぶん小さな頃だったら、忙しく働いている合間だろうから、

“汚れる!汚れる!いらんことせんでいい!!あっち行っときなさい!!邪魔!邪魔!”

とか何とか言われて、叱られていただろう姿が想像がつく。

が、今は違う!三十路になり、年老いて背が縮んでしまった自分(母)よりデカい娘を前にして、

「こうするんよ」と教えてくれる。「こう?これでいい?」と聞きながら狭い台所で二人、紫蘇を揉んだのだ。

何とも言えず幸せだった。ほのぼのと心の奥からじんわりとあったか~く、
静かなんだけどしっかりと全身が包まれている感覚だ。


もしかしたら、「幸せ」ということばと感覚が、
あの梅干し漬けの日から初めて私の人生に現れたかも知れない。


「幸せだなぁ」などと言う事は、ドラマか映画、他人の人生の事であって、私の人生にはその存在がなかった。

だから、わからなかったと思う。

そして、世間一般には(自分もたぶん追い求めていたんだろう)、それなりのお金を手にし、

買いたい物、遊びたい事が自由にでき、いつかは家を持ち、車もステキな外車とか乗って・・・

というのが幸せと思われている。がしかし、

本当の幸せとは、
『赤ん坊が何の心配もなく、安心しきって母親に抱っこされて見守られ、
すやすやと眠っているかのようなエネルギー感で、
いつでもどこでも誰とでも出会い、社会生活が送れる』

そういう会話関係を手にする事ではないだろうか!?

今、私はNAGAIとの出会いから、そうした会話家族の輪が拡がる人生を仲間と共に生きている事が

『幸せだなぁ!ありがたいなぁ!』

と、しみじみ実感している。








  

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2008年12月23日

10.母・父への宣言<後編>

10.母・父への宣言<後編>


何とも言えない一年のスタートだった。

一人暮らしの部屋へ戻ってから、何時間泣き続けただろうか。

まず、もうわかってくれてるものと思っていた両親が、実はそんな甘いモノじゃなくて、

毎日毎日、悲観に暮れながら老後の日々を送っていた!?

という事実を思い知らされた。

自分の人生を自らの選択に依って
生きようとすることは間違いなのか?

ここまで苦しませ、悲しませ、
お母さん!お父さん!ごめんなさい!!


しかなかった。

じゃあ、薬剤師に戻って残り少ない父・母の人生を心安らかなものにできるのか?

と自分に問うた時、いや、それも出来ない。

きっと私自身が晩年になった時後悔するし、

その時はもういないだろう両親をきっと恨むだろう、と。


 右にも左にも、前にも後ろにも進めない。

 身体も二つに引きちぎりたい思いで泣き続けていた。



・・・どれくらい泣いただろう。

とことん泣いた後、ふっと言葉が出てきた。


『私は私の選んだ道を行こう』 と。


そして、お母さんお父さんに、


「生んで下さってありがとうございます!
こういう人生を私は生きれて幸せでした!!」



と言える事が一番の親への恩返しだ!と。


あらためて、母から 「子離れやね」 と言われて、「いや、そんな・・・、ちょっと待って・・・」

と、ふっとよぎったのも事実。いつまでも母と子父と娘としていたのだ。

『あの瞬間が、
 初めて大人の人間同志として両親と会話したのだ』


という事も、今、しみじみと実感する。



  

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2008年12月16日

9.母 ・父への宣言<前編>

9.母 ・父への宣言<前編>


急性A型肝炎が急速に完治してから、両親との関係が急速に変わっていった。

それは、私の生きる質生きる会話体が全く変わったからだ。

あのつらさあの悲しみから、本当に憑きモノが落ちたように生まれ変わった。

嫌みを言われても、当たり前の自分という事実を受け入れ

両親への感謝のみがいつでも私を力づけ、

よし!今日も頑張ろう!!と、未知の世界を一日一日生きていた。

たぶん、そんな私の理屈抜きの素直さと生き生きさを

電話の声の様子や、ひょいっと数ヶ月ぶりに実家に立ち寄る私の姿に

離れていても感じてくれていたのだろう。

両親も穏やかだった。



そして、その年のお正月。ほんの一日ではあるが、今までに比べると

ゆっくりと両親と過ごした。

さぁ、明日はもう早く仕事場に戻るから・・・という夜。

何の話からか、いきなり母が、又怒りだした。

「大体あなたは、考えも無しに薬剤師を辞めてしまって云々々々・・・」

あららと思い、今がどれ位生き甲斐があって働いているかを話し始めようとしたら、

今度は、いつもは無口の物静かな父までが

「あんたはお父さんの気持ちがわかるかね!

やっと大学に行かせた。そしてやっと卒業した。そしてやっと就職した。

と思ったら、2年か3年しか働かんでポーンと出て行った。

お父さんのこの淋しさがわかるか!!

今でも夜眠れん!」


と大きな目からボロボロと涙を流しながら叫んだのだ。

もう私はビックリした。

父の母、祖母が亡くなった時くらいしか私は父の涙を見たことがない・・・。

脳天をかち割られるくらいのショックだった。

母から電話を切られたあの感覚とは、又違う。


優しくて大好きで、いつも小さい頃くっついていた恋人同然の父だった。


イコール父としても娘二人をどれ位愛し、

可愛がってくれたのか、あまり自分を出さない父が、

今、目の前でボロボロと泣いている。


真っ白になった。。

ごめんなさいしかなかった。。。


ところが、どう生きていくかと、私とて人生かけて迷い、そして決めて家を飛び出したのだから、

生半可じゃない決断だったのだろう。

不思議と冷静に、そして、しっかりとした口調で言葉が口から出て来たのだ。

「お父さん、お母さん。30年間育ててくれて本当に感謝しています。

大学まで出してくれたことも、有り難いと思っています。

そして薬剤師をしている時も一生懸命やった。いい加減な仕事はしていない。そして、

人生かけて私にしか出来ない事はなんだろう?

と自分に聞いた時に、今の仕事を私は選んだ。その事だけはわかって欲しい。」と。


そして、母からの言葉が、「もう親離れ、子離れやね。


あなたはあなたの人生を生きなさい。


もう今日限り、あなたが薬剤師だったということはお母さん忘れる!もう消す!」

と。



後編へと続く・・・


  

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2008年12月09日

8.母の愛への目覚め

8.母の愛への目覚め


電話を切って、病室に戻り 一人その寂しさ、悲しさ、絶望感に浸っていた。

涙が出てくれればまだ楽なんだが、涙すらでない。


その時、突然 私の胸にことばが押し寄せてきた。


「あー、今私が味わっているこの悲しみ、いやそれ以上の悲しみを お母さんに味わせているのはこの私だ!」

娘が薬剤師になった!その喜びと生きがいを地獄の底に突き落とすような事をやっているんだ!!


自分のつらさが まさに今母が味わっている悲しみとイコールなんだと 受け取れた。


その瞬間から涙がとめどなく溢れ続けた。


   本当にごめんなさい!

どんなにひどい言葉を言われても全て受け止めます。

今まで育ててもらい与えられ続けた29年間のお母さんの愛と同じだけ恩返ししようと思ったら29年かかる。

そして、その間の愛を返すのに又同じ時間がかかる。。。。

どうひっくり返したって親の愛を越えて返すことはできない。

としたら今からできることは何でもしよう。

お母さんの悲しみ辛さが少しでもやわらぐ為だったら何を言われても受け止めよう。

本当に本当にお母さん ごめんなさい と只ひたすら泣き続けた。



それからだ。

私の母へのエネルギーが変わったのは。


わかってくれない厳しい母 ではなく 只 受け取れるし 聞けるのだ。

言い合いにならない。

凍りついた関係が少しずつ少しずつ溶け始めた。
  

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2008年12月02日

7.急性肝炎

7.急性肝炎


家を飛び出し、勘当同然の状態で年経った5月、29歳の時。

突然42度にまで高熱が出て2,3日下がらない。

風邪と思って近くの町医者に行くと 即刻 逓信病院へ紹介状を書くから行きなさいといわれる。

看護婦さんからは「親御さんは?すぐ来れるところにお住まいですか?」とうろたえながら聞かれる。

何が何だかわからないまま病院に行ったら、 急性A型肝炎で 即入院となった。


人生で初めてである。

未熟児で生まれたものの、物心付くころから元気だけがとりえ、
病気といえば風邪、水疱瘡くらい、あわてんぼうのため骨折を4回くらい体験したが入院なんぞ私の文化にはなかった。


入院して4日間くらいはどうすごしたか覚えていない。ふらふらだった。

退院するするまでも3週間とありえない速さだったが。。。

主治医の先生が「劇症肝炎にならなくてよかった。危険な数値だったから心配してました。」と後で言われるほど尋常じゃなかったらしい。

症状が落ち着いてから実家に電話した。

知識のない両親に余計な心配をかけたくないと思って何も言ってなかったのだ。

今思えば、毎日ありがたい事に会社のスタッフが洗濯物の世話からすべて身内同然にやってくれていた。

それでも親に甘えたかったのだろう、30になっても親子は親子だ。

「実は肝炎になって入院してる。入院する時のパジャマの用意から毎日の世話までしてもらってるので、あいさつに来て欲しい。」


すると返ってきた言葉は




「ふ~ん、そんなん知らんよ。あなたが勝手に病気になったんだから、勝手にしなさい!電話切るよ。」 

ガチャン!


もう唖然というか涙も出ない。  茫然自失とはこのこと!


あの日あの時のお風呂事件の再現だった。  

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